僕の富嶽百景
轟 俊
北斎が富嶽三十六景を描き始める1822年頃
シーボルトはカピタンのヨハン・ウイレム・デ・スチューレルと
長崎の出島から江戸にやって来た
そこでシーボルトは北斎に浮世絵を注文後に値切り交渉を始めた
―結果的に値切り交渉は失敗
―富岳百景三十六景の富士の絵は
ー北斎にとって誇り高い日本人の魂の象徴だった!
「富士には、月見草がよく似合ふ。」
ーと太宰治が『富嶽百景』で書いた
―人並み以上の悩みや苦しみといった重荷をしょいこんだ
有閑地主階級の子息の迷える魂が
深遠な美を湛える富士山と精神的に融合した
その痛々しい程の感性とひっそりと咲く月見草の輝き……
令和最初の僕の富士登山
―夏富士は深緑の穏やかな裾野の上に赤茶けた頂を冠していた
―その五合目は若者たちや外人の登山者たちで
まるで原宿通りのような賑わいさえ
―「頑張って下さい!」
金剛杖を突いて下山していく若い女性の激励の声
―大泣きしながら母親に手を引かれる小学生の男の子
―70半ばのお婆さんの「五年くらい前に吉田口から登って、今日で御札をいただくのも最後かと思ってー」と達者なお声
―登山タイツを着たフランス人の若い女性たちの場違いのような豊満なヒップラインから覗く夏山の頂
八合目付近で急に冷たい雨風に晒されたかと思うと
白日夢だったかのように晴れ間の中から
岩場の急な頂が希薄な酸素の中に現れて
『コンドルは飛んで行く』を聴きながら
山頂に到着したころはもう午後二時を回っていた
―奥宮で山頂を撮り 御守りを買って すぐ下山
六合目付近で早や夕陽が落ち
ヘッドライトを頼りに砂礫を滑り
―最後のバス停までは愛想のいい小柄な学生風の日本人女性二人に道案内をしてもらい
僕の富嶽百景はジエンド!
ー闇に包まれた五合目からの深夜の道路に
パンパンになった車のタイヤの軋む音か 鹿の鳴き声か
レーゾンデートルの極限まで響いてくる
ーその音
それは僕たちの生存圏と何か関係があったのか……
『詩と思想』2020年5月号(改稿)
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